『アンダー・ザ・ドーム』(Season1)はカーツ大佐の墓標なのか。
スティーブン・キング原作の連続ドラマ『アンダー・ザ・ドーム』(Season1)を観た。
突如街を覆った巨大なドームによって外界と途絶されたコミュニティを描く。
ドームは、その登場シーンからして、白昼、轟音を上げながら牛を真っ二つに切り裂きつつ現れるという、センセーショナルな演出とともに、住民にとっての「敵性」を見せつける。
続いて起こるエピソードも、同様だ。
飛行機やトラックがドームに激突し大破する。破片が地上に降り注ぎ二次災害を誘発する。
磁気を帯びたドームに触れた保安官は、ペースメーカーの爆発で命を落とす。
跳弾により警官を死に至らしめもする。
理不尽・不条理な敵対的存在感で、住民を支配し、コミュニティの危機そのものとなる。
明らかな「敵」として立ち現れたドームだが、外界との断絶や、キーパーソンの死によってドーム内のヒエラルキーが再編されていく過程で、住民はドームに意志を見出し始める。
「ドームの意志」
いつしか住民は当たり前のようにこの言葉を口にし始める。
水不足の危機を偶然すぎるタイミングで解消するするという慈悲的な「奇跡」や、「巫女」たる少年少女を媒介として預言を伝えているという信仰に近い観念がコミュニティに生まれ始める。
圧倒的な力と不条理さで世界を支配するものを、昔から人は神となしてきた。
あるいは、ドーム内に残された人々がヒエラルキーを再編する、その過程において、ドームそのものをヒエラルキーに組み入れたとも言えるかもしれない。
絶対的な自然、敵性すら帯びている外的要因を、自分たちの論理に組み入れる祈りこそが、信仰と言えるのであれば、その意味でもドームは神だ。
ドームは神となり、神に認められたものが王権を手にする。
シーズン1の物語は、人類の権力闘争史のミニチュアを形作りながら、王位を継承すべき「よそ者」の処刑を前にして最初の幕を下ろすことになる。
バービーが、金枝篇の宿命を背負ってカーツ大佐を殺害したウィラード大尉のような勝利をえられるかどうかは、第二幕を待たねばならない。