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『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズ最高傑作は「2」であるという主張

バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズの面白さの源泉は、言わずもがなだが、時間旅行にともなう「現在」感覚のズレに起因する。

 
時間旅行を繰り返す中で、「現在(今・Now)」だったはずの時間は「新しい未来」となり、「過去」だったはずの時間が「現在」や「過去から見た未来」として認識される。
この時間間隔の視差が生み出す、くらくらするような酩酊感と裏腹に、杓子定規なほどていねいにハメ込まれた伏線 - 照応のパズルが、教科書通りの正確さでタイムラインに沿って解消されていくという、メリハリの利いた心地よさを快楽原則としている。
 
 この快楽原則を改題として考えた時、最高傑作は「2」であるという論に異を挟む余地は無いのではないだろうか?
 
前作によって書き換えられた「新しい未来」である「現在(1985年)」からスタートし、「未来(2015年)」「失敗した現在(ビフが支配する1985年)」「失敗した現在につながる過去(1955年)」を経て、「過去につながっていたもっと過去(1885年)」への旅を予感させて物語は終了する。
時間旅行のざっくりとした行程だけ見てもあらすじとして最強である。
 
前作によって一度描きなおされた「過去」を、自ら追体験し、再び描き直す。
再構築した歴史を、別の視点から再構築し直すトリックの巧みさと、子どもでも理解できる噛み砕かれた演出は類を見ない。
 

中でも、最初の3分は驚愕だ。

承前という形で(続編なので当然であるが)唐突にはじまったストーリーは、「前回のおさらい」と「以降の物語の重要な伏線」を巻きちらしながら「未来へ転移するシーン」(最初のクライマックス)まで、たったの3分間で描き切る。
前作の視聴体験という観客にとっての「過去」の想起から始まり、これから起こりうるストーリーの予感つまり「未来」を感じさせつつ、「現在」進行形の物語の世界に没入させた刹那、一瞬のうちに物理的にも「未来」へ転移する。
 
 
その後も、ストーリー全体を通しての過去と未来の結節点である1955年を、再三に渡り最構築し、自らが描き直した歴史そのものを、改めて上書きしていくその様は、神秘的ですらある。
 
1955年という時間が、過去から、現在から、未来から、様々な方法で上書きされていく。
1955年は、あらかじめ過去として存在していたにも関わらず、現在として・また最終的には未来として描かれているという混濁した視差による陶酔感をもっとも集中的に味わえるのは「2」なのだ。
 
劇中でドクが一人ごちたように、宇宙的に重要な意味を持つ瞬間となっているかのように。
 
考えてみれば、この物語において、55年を結節点とした「時の流れ」は、60年代や70年代をすっとばし、50年代的なるものがそのまま80年代を形づくるという強引な因果関係を描いていく。
 
さらにもう一歩進めば、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の世界観において、特に「2」の世界観においては、「2015年がどうあるべきかという未来観」を実現するべく「1955年がリアルな今」として描かれているのであって、「1985年はその途中経過に過ぎない」とさえ言えるのだろう。
 
つまり、2015年という今日においてバック・トゥ・ザ・フューチャー2』を視聴した我々は、また新しい視点で楽しむことができるはずだ。
かつて感じたあるべき未来が、今であるという「現在」感覚の異様さをベースに、ここへ至った過去・または次のあるべき未来について思いを及ぼすことになるはずだ。