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良い映画とは何なのか、超個人的なまとめ

前略、掲題の件。

 

フィルムがデジタル化され、極めて低価格で再流通される現代、「映画の評価」や「評価の蓄積」もまた容易となった。

 

人々は映画を視聴するのと同じくらいの容易さで、5つ星のレーティングをサクサクとつけていく。映画消費と評価のスピードは、この数年で飛躍的に伸びている。

だが、映画の良し悪しの判断は、未だにムツカシイ。

 

映画はTVゲームのように、メディア自体が担保する体験性が高くないので、「面白いと感じられたかどうか」自体に観客の努力を要する場合がある。

 

「エンターテイメントとして、観客の努力を必要とする時点でダメ」と切り捨てるのは表層的だし、一方で、深遠で含蓄があるものしか評価しないのもスタンスとしては極端だと思う。

私は、映画を観るときに、以下の4つの判断基準をもって観るようにしている、というのを超個人的な経験からまとめてみた。

これまでの経験上、下記4点を満たしている映画は、末永く私の心を潤してくれているからだ。

 

【超個人的、良い映画の特徴】

  1. 何度観ても面白い
  2. 結末を知っても楽しめる
  3. 様々なジャンルの顔をしている
  4. 自分の成長に応じて、新しい気づきがある
 
1、何度見ても面白い
「映画監督になりたければ10回同じ映画を観ろ」と言ったのは淀川長治だったと何かで読んだが、良い映画は何度観ても面白い。
少なくても、3回連続で観るくらいは堪えうるし、一旦飽きても、後日見直すとまた楽しめる。
だから私は映画を観ながら、「この映画はもう一回観たいか?」を自問する。
時が経ちディテールの記憶が薄れた時、もう一度自問する「前に観たことあるけど、また観たいか?」1回目の評価を覆して、何度も観た方が気にいる場合もある。
そこに描きこまれた人間や関係性の妙は、真に迫っていればいるほど、リピートに堪えうるものになっているはずなのだ。
 
 
2、結末を知っても楽しめる
私にとって映画とは、ストーリーのことではない。
ストーリーを通して登場人物の感情や行動、人間関係の「動き」を目の当たりにし、自分自身の知性や感性にフィードバックする体験だと思っている。
結末を知ってしまったくらいで面白くなくなる映画は、浅い。
1、とも関連するが、結末だけが「オチ」の映画は2回目見ても面白くは無い。
 
 
3、様々なジャンルの顔をしている
昔、映画の撮影監督をしている先輩に「映画を撮りたければゴッドファーザーを観ろ」と言われた。
「はあ、地獄の黙示録じゃだめなんですか?」と頓珍漢な返答をした私に、そのカメラマンさんはこう諭してくれた。
ゴッドファーザーには、様々な映画のエッセンスが入っている。【アクション映画】でもあり、【恋愛映画】でもあり、【青春映画】でもある。【家族愛を描いた映画】であると同時に、【マイケルの成長を描く映画】でもある。【マフィア(社会悪)】を描きつつ、【正義】についても描いている」。
確かに、映画が描くのは不可避的に人間そのものと、その周辺に発生する関係性であることを考えれば、これも自明の理だ。
人間の人生をジャンル分けすることは出来ないのだから。
 
 
4、自分の成長に応じて、新しい気付きがある
言葉を変えれば、「世代の差異がリアルに描かれている」ということでもあるかも知れないが、それだけではない。
映画に描かれている人間が、リアルであれば、自分の成熟度に応じて「分からないこと」があるのものまた当然。
子どもの頃、初めて『スターウォーズ』を観た時、まったく分からなかったダースベーダーの気持ちに、30超えて初めて共感できたりする。
社会の中で自分の立場が変わることで、新しい見方ができるのが良い映画だと思う。
 
 
以上、しかし私はリアルな人間ドラマが好きかというと、むしろ逆で、トリッキーなエンターテイメントや寓話的なストーリーが好きだったりします。
 
 リアルとトリック、あとはこの配分をどうするか。
それこそが映画の魔・・・。