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刀語(かたながたり)、あるいは「刀など無い」

名前を探す旅。

言うまでもなく、この物語はロードムービーである。

 

父親が流刑された無人島で、社会と関わらずに生きてきた主人公「虚刀流七代目当主 鑢七花」と、彼を陰謀渦巻く世間に引きずり出した尾張幕府家鳴将軍家直轄 預奉所軍所総監督 奇策士とがめ」

 

ふたりとも、舌を噛みそうな一見意味のわからない肩書きを持たされ、物語冒頭からこの肩書きとセットで自己紹介され続ける。

肩書きとは、本来人間性と切り離された虚飾であるが、この物語においては特にその虚飾性が強調される。

 

物語は、ロードーム―ビーの王道的展開に漏れず、この二人の旅は、本来の名前と、名前の持つ真の意味を知る過程として描かれる。

 

旅も目的もまた「伝説の刀鍛冶、四季崎記紀の『完成形変体刀』12本の収集」と称され、一度耳にしただけでは内容が理解しにくい音節で隠されていることからも分かるとおり、フェイクでしかない。

 

鑢七花は、虚飾に満ちた肩書きとともにフェイクの旅を進めながら、フェイクではない感情を芽生えさせていく。

 

当初は突然現れたとがめに与えられた感情であった「とがめに惚れている」というフェイクの動機。それが真実に変わった瞬間、物語は大団円に向けて加速するのだが、物語の最後に、旅の継続とともに匿名性への回帰を明示されていることからもこの旅が真の名の発見=自己発見の旅であることを裏打ちしている。

 

虚刀流七代目当主という虚飾の肩書きは、「四季崎記紀の『完成形変体刀』12本」同様に、彼を自己変革の物語へ引きずり込むためのマクガフィンに過ぎない。

 

虚刀流などという、はなから存在していない刀を得物にしているのだから、この展開は当然である。

 

語るべき刀など、最初から無かった。

そこに若者が二人居た。それだけの物語である。

 

テーマとしては、どこか「宗三左文字」を彷彿とさせるエピソード。

事実は小説より奇なり。時の権力者を渡り歩いた来歴は、史実もまた奇怪なり。

宗三左文字 - Wikipedia